ひとに合わせなくても大丈夫、という話|岡潔先生の言葉
こんにちは、はるかぜブログです。
今回はスピリチュアルなお話になります。
お茶のあて、酒の肴にでもどうぞ🍷
ひとに合わせなくていい
野に咲くスミレのように
突然ですが、ぼくの好きな言葉をご紹介いたします。
日本が誇る数学者、岡潔先生がその著書『春宵十話』のなかで述べられていた言葉です。
「スミレはただスミレのように咲けばよい。そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ」
ー岡潔
数学なんて世間にどんな利益があるのかと問われた時、岡先生は決まってこう答えていたそうです。
なにかとすぐ成果を求める世間に、ズバッと切り返すような言葉ですね。
他人の評価に惑わされず、自分のあるべき姿・自分のありたい姿でいなさいというメッセージに聞こえます。
とても美しくやさしい言葉ですね。
少しずつずれていく自分
ひとは社会生活を送るうえで、知らず知らず他人に合わせて生きています。
波動でいえば、相手の周波数で自分の周波数が乱されるとでも言うんでしょうか。
こうすれば相手が気持ちよくすごせる、こう答えれば相手は気を良くするといった具合に、ひとに気を使っていくうちに自分自身は消耗していきます。
そこには相手から嫌われたくないという心理が働いているのかもしれません。
ですが、人からどう思われるかは自分を犠牲にしてまで考慮することでしょうか?
これは断言して構いませんが、あなたの人生の主人公はほかでもないあなたです。
この世界でもっとも大切なのは自分自身なのです。
その証拠に、もしあなたがいなくなれば、あなたの人生はその時点で終了します。
あなたほど価値ある存在は他にいません。
自己犠牲の行く先
よく自己犠牲の精神といいますが、自分を満たすことができないひとは、ほんとうの意味で他人を幸せにすることなどできないと思います。
自己犠牲にはどこか悲壮感が漂います。無理が生じ、長続きしません。
「私がこれだけしてあげてるのに」と無意識に見返りを求めてしまうこともあるでしょう。
それでは無償の愛とは言えません。
他人への過剰な気遣いや自己犠牲は、今すぐ手放してしまいませんか。
その結果ひとからどう思われようとも「スミレのあずかり知らないこと」です。
スミレがすべきことは、周りの草木にどんな影響を与えるか考えることではないのです。
ただスミレらしく咲くことだけなのです。
まぜるな危険
みなさんはカレーと焼き肉、どちらが好きですか?
どちらも好きだという人のなかで、2つを混ぜて食べる人はおそらくいないでしょう。
一緒に食べるとかえって味が落ちてしまいます。
ですがそれはカレーの落ち度ではないし、焼き肉の落ち度でもないのです。
人間関係でも同じことが言えます。
波長の合わないひとと無理に合わせようとしなくていいんです。
それはどちらが悪いわけでもなく、ただそうなっているという事実があるだけなのですから。
カレーはただカレーらしく食べられればいい。
岡先生と違って、なんとも締まらない言葉ですね…

なんだかカレー食べたくなってきたな

今宵はレトルトカレーにしましょうか、ぼっちゃま

